生きていくのに、食べることは外せない

生きていくのに、食べることは外せない

食べてもらう喜び

暮らし方ががらりと変わり、10日ほど経過しました。こちらはちょうどカラマンダリンという品種のみかんの収穫期で、主人の同時にトップギア! な感じで、ブログの更新がぱったり止まってしまっていました。

食べてもらう喜び

Facebookに「出荷しました」のお知らせをしたところ、さっそく手に取ってくださった方からメッセージをいただいて、歓喜の悲鳴を上げていました。まだ私も作りました! とは言えないけれど、でもやっぱり嬉しいです。

「食べてもらえて嬉しい!」という感覚は、こちらに来て働き出して強く感じるようになったものです。強く感じるというより、それが原動力という感じです。本当にありがとうございます!

「所有と共有」と、田舎暮らしのお話し

今日、お友達とzoomで久しぶりにお話したんです。その中で、キンコン西野さんの話題が出ました。私はオンラインサロンには入っていないものの、Voicyやブログをちょいちょいチェックしています(めっちゃファンやん、サロン入れよー!(笑))。

でね、お友達がこちらの記事のお話をしてくれたので、今の私の暮らしってどうだろうと考える機会をもらいました。

この記事の中で、西野さんは「くれぐれも「オールドタイプ」がダメと言っているわけじゃ無いですよ。」と説明したうえで、

一つ言えることは、トイレットペーパーを取りに言った人は、自己完結というか、自分の身を守るのは自分で、助けてもらうことを想定していない。悪くいうと、助けてくれる人の存在を信じていない。

「助かりたければ、分断するな。もっと繋がれ、もっと信頼しろ」

と伝えています(詳しくは西野さんのブログを見てね!)。

私が暮らしている場所は、いわゆる「僻地」と呼ばれる場所で、コンビニもスーパーもありません。街灯もほとんどないから夜は真っ暗、波の音だけが聞こえてくるようなところです。

ここに来て10日ほど経過しましたが、現金を使った回数は2回。地域の万事屋(よろずや)さんで卵とお茶を購入したのと、少し離れたホームセンターで箒と塵取りを購入した時だけです。

基本的に、食材はほとんど買わないんです。魚も野菜も、ご近所さんや両親の好意で分けていただいて事足りています。もちろん、それだけでは足りないものもあるから購入することだってありますが、なんだかんだで足りている生活です。

これが、西野さんの記事でいう「ニュータイプの共有」であるならば、ここはずいぶん昔からそんな暮らしです。一周回って最先端なのかも?? とお友達と言い合っていました。

生きていくのに、食べることは外せない

ここで暮らしていた思春期ぐらいのころは、どこを見ても顔見知りのこの場所がとっても嫌いでした。で、知り合いのいない都会の暮らしに憧れて、夢を叶えるかのように都会暮らしをしました。

生きていくのに、食べることは外せないでも、実際に都会に出て一人暮らしをしていたころ、ちょっと寝込むたびに「孤独死」の三文字が浮かんで、冗談ではなく本気で「可能性はゼロじゃないな」と思っていたことを、体調を崩したとしても、来月の生活費が不安になって仕事に行かねばならないと信じて疑わなかったことを、仕事に行かなきゃ生活ができない、生きるってそういうもんだと思っていたことを、このコロナ禍によって思い出しました。

だけどここに来て、それって絶対じゃなかったんだなと改めて実感しています。そして、都会にいようと田舎にいようと、生きるのに食べることは外せないことで、私にとっては、生活費的にも、精神的な満足度的にも、「食べること」はとてもウェイトが大きいことだったんだと思いました。

そして、生きていくのに必要な費用(生活費)の構成がガラッと変わりそうだと気づいたとき、初めて「私の暮らしは、本当に今までの暮らしと全く変わるんだな」と思いました

もちろん、たくさんの頂き物は、私の両親が培ってきた地域との関係が基盤にあってこそ、私たち夫婦はとても恵まれた環境にいるということです。だから私たちは、なんらかの形でお返ししなきゃね、と話しています。といっても、周りの方々は農家のプロ、漁師のプロ、野菜作りのプロばかり。教えてもらうことばかりです。

見習い農家の私たちが今できることは、率先して地域と関わって、できることを手伝わせてもらうこと。素直にそれができるのは、ライフレボリューションプログラムを受けて、自分のことを知る方法を学んだからだと実感しています。

まだまだここでの暮らしは始まったばかりです。これからも暮らしの中で感じたこと、実感したこと、分かったことなど、お伝えしてゆきますので、どうぞよろしくお願いいたします。

テキストのコピーはできません。
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。