自分を愛すると夢は叶う

吉本ばなな 奥平亜美衣 自分を愛すると夢は叶う
吉本 ばなな 奥平 亜美衣
マキノ出版 (2018-05-01)
売り上げランキング: 27,217

 

私は何かがあるとばななさんに戻る。では彼女が言うことがなんでも正しいのか、信者なのかと問われると、まったくそうではない。うまく言えないけど、ちゃんと引っかかるから彼女の言うことは分かるという感じ。先日、朝井リョウくんのインタビューを読んで「この人かなりすごいんじゃないか、冷静だし自分と時代を良く分析していて、すごい小説を書きそうだな」と思って図書館で数冊読んでみた。結果、私には入ってこない。残念ながら私はとても文体や書き方に得手不得手があって、読める作家と読めない作家が極端に分かれる。これはある時期アホみたいにいろんな作家の本を読んで出た結論だ。あれ以来もう目新しい作家だろうと、直木賞だろうと、本屋大賞だろうと、合わないものは合わないから読まないことにした。ある意味では1 とても現代的な読書家だと思う。

さて、この本は引き寄せの法則を書いた奥平亜美衣さんとの対談形式で進んでゆく。私はスピっているわりに引き寄せとか毛嫌いしていたのでメソッドだの思想だのを全く知らなかった。この手の思想が言語化すると「自分を愛すると~が叶う」というものが多い。これは言い換えれば叶えたいことがあるんだけどかなえられない人が多いということだと思う。いや、違うな。叶えたいことすらわからないのだけど現状が不満という人が多いということかもしれない。

それはさておき、自分を愛すると本当に夢は叶うのだろうか。私は信じている、叶うと。ただ、自分を愛することというのが誤解されやすいのだと思う。自分を愛すること、それは自分を甘やかすことでも、努力をしないことでもない。自分を愛すること、それは「自分のなかに答えを見つけてゆくこと」だと思う。

今はスマホがなんでも答えを見つけてくれる。でも、朝井リョウくんの小説を読んで私がどう思ったかということは私しか知らない。つまりそういうことだ。ちょっと大雑把すぎるか。例えば「結婚したほうが幸せになれるのか、このまま一人でいるほうが幸せでいられるのか」という問いに対して、一般論は答えにならない。かといって、どんなに詳しく身の上話を聞いたところで、こっちが正解というものは存在しない。なぜなら、まだ見ぬ未来にしか答えがないからだ。現時点でそこに到達している人は存在しない。

だったらどうするか、まず「自分が思う幸せの定義」を考えることだ。自分が幸せを感じることは何だろうか、どんなことをしているときだろうか、誰といるときだろうか。あ、引き寄せらしくなってきたね。でもこれ、本当に大事だと思う。「幸せ」という言葉は最大公約数であって、具体的なものではないからね。青い鳥になっちゃうよ。

あと、なるほどなあと思ったのは「仕事に関しては、男性は大変そうだと思います。男性のほうが女性よりも妬みがすごいから」という言葉。世の風潮ではすぐに女同士のあれこれに目が行くようだけど、私はずっと男社会にいたので、男性のそれは本当に根が深くて恐ろしいことを知っている。基本、戦う人たちなのだ、男とは。真っ向から勝負している男らしい男ほど辛いだろうなと思う。人を踏み台にしないと上がれないと信じている人の、なんと多いことか。

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スピリチュアルってなんだろうと思う。今のところ「目に見えない、けれど確かにあるもの」ということにしているが、本当にこの威力が増していると思う。古今東西、勘のいい人というのはいる。なんてことない、どーでもいいことであっても「あ、今嘘ついたな」というのが分かるとか、「あ、ここヤバイ場所かも」と分かるとか、「旦那浮気してるな」と分かる女性とか。この「なにか」は見えないものだ。気とかエネルギーという呼び方もするけれど、要するにこれで、最近はこれが現実化(具現化)されるのが顕著になってきたんだな、という感じ。現実化されるから余計に無視できなくなったような感じ。でも、心理学をめちゃくちゃ勉強しなくても、旦那や子供がささやかな嘘をついたときに気づくこと、誰にでもあるように、誰にでも意図して現実化することはできることだ、と説いているのが引き寄せなのだと思う。

私は長く、正しいか正しくないか、善か悪かという世界を生きてきた。正しければ報われるとも思っていた。悪事を働くとしっぺ返しが来るとも思っていた。けれどそれらは全部、そうであってほしいという私の願いだった。私の願い、言い換えれば「私の勝手な期待」とも言えるし「運命に対して、善行を人質に『ええようにしてくれよ』」と言ってるようなものとも言える。運命なんて見えないものに、漠然と「ええように」って要求しているなんておかしな話よね。

でもこれを「違ってたんだ」と認めることは、我慢してきた自分が「何それ、悔しい悔しい!!」と暴れだすのでなかなか認められなかった。でも認めるとか認めないとか関係ないのだ、世界はいつだって回っている。川の水は常に川上から川下に流れている。ならばさっさと認めて、善悪で正誤で世界を見るのをやめてしまえ、というのが今の私の気持ち。だからブログのサブタイトルが「世界に狂った色彩を」なのです(なんだっていいんだよ、善玉菌と悪玉菌さえいれば)。

物事にはよい面と悪い面がある、人間のお腹のなかには善玉菌と悪玉菌がいる、そういうことを丁寧にひも解いてゆくような対談だった。

  1. もともと書物は伝承のために生まれたわけで、好きだから読む、嫌いだから読まないという類のものではなかった。もっとさかのぼれば文字が読める人だって限られていたわけで、好き嫌いではなく読めるか読めないか。好き嫌いなんてなかったはずだ。でも今の時代は違う。日本人のほとんどは字が読めるし、一生かけても読み切れないぐらいの本が次々に出版されている。だからこそ真剣に選ぶのだ。自分にとって良い本を。 []
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